注:この記事はあくまで「筆者はこう考えている」という意見の表明であって、読者に対して正しい答えを教えるものではありません。
【結論】幸せでありたいなら、「結果が出そうなこと」ではなく「好きなこと」をする
パターンメイキング工房『オーヴ・モードスタジオ』代表 フリーパタンナー/モデリストのコバヤシ_トシヒコです。
前回の記事では、不幸を最小化するのではなく幸福を最大化することを生き方の指針とするに至る、その思考プロセスを共有しました。
今回は、どうすれば幸福を最大化できるのかという方法と、不幸の最小化を生き方の指針にした方がいい人について取り上げます。
幸せの条件
私が考える、幸せの条件は以下の2つです。
- 好きなことや、やりたいことがある
- その好きなことややりたいことをできている
それぞれについて解説していきます。
1.好きなことややりたいことがある
1つ目の条件である好きなことややりたいこととは、それをやっているときに幸せを感じられることです。
そしてそれは行為であって、結果ではありません。
ここから言えることは、好きなことややりたいことがない人は、幸せにはなれないということです。
やっていて幸せを感じられることがないのであれば、幸せになれないのは当然なので、このタイプの人は不幸の最小化を指針にしたほうがいいことが、ここで確定します。
またそれは、「やったことのあること」であって、「やってみたいこと」ではありません。
「やったことがなくてやってみたいこと」は、「好きなこと」ではなく「興味あること」だからです。
2.その好きなことややりたいことをできている
2つ目の条件は、その好きなことややりたいことをやるための資源(リソース)が必要だということです。
それは時間だったり、お金だったり、人的資本だったりします。
そして、これらの資源がどれだけ潤沢にあったとしても、そもそも好きなことややりたいことがなければ幸せにはなれません。
好きなことややりたいことがなくても、それらの資源を得ることで感情的な高揚は発生するでしょう。
しかし、それは満足を得ているのではなく、不満足の一部が一時的に解消されているにすぎないからです。
好きなことややりたいこともないのに、ただ闇雲に資源集めに躍起になっても幸せになれない理由がここにあります。
なので、幸せでありたいのであれば、まず好きなことややりたいことを見つけること。
この順番を間違えないことが重要です。
そしてそれらの資源は、勝つことや得することといった「結果を出す」ことによって得られます。
結果を出すための「結果の公式」については、こちらの記事を参照してください。
幸福を最大化するには
「行為」と「結果」との組み合わせによって幸福度が決まることを、以下の図にマッピングして示しました。
つまりこうです。
◎:好きなことをやって結果が出る
◯:好きなことをやって結果が出ない
△:好きではないことをやって結果が出る
×:好きではないことをやって結果が出ない
これを図に示した記号でだんだん幸せになる順番に並べると
×<△<◯<◎
となります。
いちばん幸せな、幸福が最大化される状態はもちろん、◎の「好きなことをやって結果が出る」ことです。
好きなことをやれてる時点で幸せだし、結果が出ることで獲得した資源を、さらに好きなことへと投入することができる。
この好循環が回っている状態が、幸福が最大化されている状態です。
次に幸せなのが◯の「好きなことをやって結果が出ない」こと、その次が△の「好きではないことをやって結果が出る」こと、いちばん幸せじゃないのはもちろん、×の「好きではないことをやって結果が出ない」こと。
これを見て「結果が出ないより結果が出るほうが幸せなんだから、◯と△は逆なのでは?」と思った人がいるかもしれません。
しかし、そもそも好きなことをやれてる時点ですでに幸せな状態にあります。
なぜならすでに述べた通り、好きなこととは、やってて幸せを感じられることなのだから。
そして、好きではないことで結果が出てしまうと、◎の領域にたどりつくのは一番遠周りになってしまいます。
なぜなら、何を好きになるかはコントロールできないことだからです。
「すでにやっていて結果が出ている」のに「好きになれないでいること」を、好きになるのはまず不可能ではないでしょうか?
そして、すでに結果が出ていることを手放してまで、結果が出るかどうかもわからないようなことなどできるのでしょうか?
そういう意味ではむしろ、×と△が逆だとも考えられます。
また、
好きなこと=結果が出ること
という人は勝つのが好きな人であり、幸福感と優越感とを混同している可能性があります。
そして仮に結果を出すことが幸せなのだとすると、幸せであるためには結果を出し続けなければならなくなります。
結果を出すことが幸せなのであれば、それ以外の結果は幸せではないことになるからです。
行動したことに対して結果が出ない度に、劣等感を味わうことにもなるので。
不幸の最小化を生き方の指針にした方がいい人
ここまでを読んで「みんながみんな好きなことややりたいことをやって幸福を追求したら、世の中が成り立たなくなるのでは?」と思った方がいらっしゃるかもしれません。全くその通りです。
だからこそ「好きなことややりたいことがない人」が存在し、「幸せになれない人」は、そのことによって社会に貢献できるのです。
2012年に出版された書籍『子どもの脳がぐんぐん育つ「やる気脳」を育てる』では、人の「幸福感」は50%ほど遺伝要因に影響を受けるという説があると指摘されています。
これはつまり、後天的な残りの50%の要因を使わなければ、幸福感を得られない人となる可能性があることを示唆しています。
もし心当たりがある人、生まれてこの方幸せを感じたことのない人は、不幸の最小化を行き方の指針としたほうがいいかもしれません。
幸せを感じられる人になるには、すでに手遅れの可能性があるので。
だから好きなことややりたいことがある人は、安心して幸福を追求すればいいのです。
そこに罪悪感を覚える必要などありません。
不幸を最小化する方法についても、いずれこのブログで取り上げます。
先に結論だけを書いておくと『不幸を最小化したいなら、「結果が出そうなこと」ではなく「他人がやりたがらないこと」をする』が、私の答えです。
あとがき
好きなことややりたいことが見つからないのであれば、好きを量産する方法はあります。
それを公式化すると
好きの量=運×行動量
というのが私の結論です。これについてもいずれ記事にまとめます。
また、本記事で述べられている幸せの定義に、違和感を覚えた方がいらっしゃるかもしれません。
そしてその理由は、日本語の「幸せ」と英語の「ハッピー」との違いにあるのかもしれません。
というわけで、「日本語の幸せと英語のハッピーとの違い」についてもいずれ取り上げます。